日本の夏の風物詩、花火。
もともとは戦国期の天正年間(1573~91年)に南蛮人によって伝えられた軍事用の火術が、戦乱の終焉とともに観賞用に変化し誕生したといわれています。
火術は、当初は各大名により鉄砲を中心に軍事用に用いられましたが、天下統一を成し遂げた徳川家康公が各藩の鉄砲・火薬の製造を厳重に制限し、原則として徳川家発祥の地・三河だけに火薬の製造・貯蔵や原料となる硝石の保有を限定させ、三河の鉄砲隊に火薬の平和利用を命じたことから「三河花火」が誕生したといわれ、三河の花火は全国でもトップレベルの技術を有するようになったと伝わります。
やがて天下泰平の世になると、花火は庶民の間で神事と結びつき、祭礼用の献上花火が奉納されるようになりました。
現在でも、三河地方は花火(打ち上げ花火、玩具花火、仕掛け花火)の製造や、花火大会などにおける打ち上げ行事が盛んであり、花火の伝統を守り、受け継ぐ文化が地元に根付いています。